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いつか必ず有名に「フェイマス」への道 ~キワヤ商会のあゆみ~

キワヤ商会は1919年に創業しました。
時代と共に事業を変革して生き残ってきた下町の小さな会社は、一人の男が小さな楽器に魅入られたことで、大きな試練に立ち向かうことになります。 「国産のウクレレを守り続ける」それは”戦後”という日本人の生活様式を一変させた猛烈な時代に立ち向かうことを意味していたのです。

創業:蓄音機の修理からレコード店・楽器店へ

キワヤ商会の前身は大正8年(1919)に岡本喜太郎によって東京・神田に創業された「喜八屋蓄音機」という蓄音機の販売・修理会社でした。
社名の由来は、喜太郎の「喜」と末広がりで縁起の良い数字である「八」を組み合わせたところから来ています。
やがてSP盤(蓄音機専用レコード)で音楽を楽しむ時代が終りを迎えると共に「喜八屋蓄音機」もレコード店、楽器店へと業態を変えていきます。
そして、昭和22年(1947)、喜八屋商会は、浅草寺に近い台東区松が谷(現住所)に移転し、そこで楽器店として商いを営みます。

(写真右端・自転車傍が創業者・岡本喜太郎)

第2の創業:岡本良二、キワヤ商会に入社

14歳で楽器問屋に入社し、色々な「楽器」と様々な「音楽」に触れてきた岡本良二(当時26歳)が、喜太郎に見込まれて、昭和32年(1957)、喜八屋商会に入社。喜太郎は良二に会社を託します。
その際、「喜八屋という社名は古めかしいので、新しい社名を考えるように」と、喜太郎より言われますが、良二は創業者の名を冠した社名に敬意を表し、社名の「喜八屋」を漢字からカタカナの「キワヤ」に改めるだけに留めます。
そして、昭和41年(1966)、有限会社から株式会社キワヤ商会へと改組されます。

自社ウクレレブランド「Famous」誕生・「ウクレレ冬の時代」の到来

岡本良二がキワヤ商会を引き継いだ昭和32年当時、すでに爆発的であったハワイアンブームは沈静化の方向にあり、ウクレレに代わり、ギターが伸びようとしていました。
しかし、岡本良二は「ウクレレ」にこだわり、同年にキワヤ商会のオリジナルブランド「Famous」ウクレレが誕生します。(写真:右)その名が示すように“有名なウクレレにしたい”という一心でこの名前がつけられました。後発にも関わらず、Famousのカタログでは、灰田有紀彦氏や山口銀次氏といった当時を代表するハワイアンアーティストがFamousの推薦者として協力、力を貸してくれました。

しかし、そういった熱い想いとは裏腹に昭和30年終盤から時代はエルビス・プレスリーに代表されるロカビリーが大ブームとなり、ハワイアンは大打撃を受けます。
ウクレレは全く売れなくなり、殆どの楽器メーカーがウクレレ製造から撤退、または転廃業していきます。そして日本のウクレレの象徴的存在であった名ブランド「LUNA」(ルナ)も表舞台から姿を消してしまいます。

「Famous」を守り抜く事を決意

各社が撤退・転廃業していく中、岡本良二は「Famous」に心血を注ぎます。
「こんな可愛い楽器を日本から無くしてなるものか」 気がつけば、国産ウクレレは「Famous」を残すのみ。
店の在庫も膨らむ一方の中、岡本良二は「Famous」をひたすら守り続けます。
厳しい時代、ウクレレを守っていくためには、会社を存続させていかねばなりません。
岡本は、バリトンウクレレの型を利用して子供用のジュニアギターを開発、通常のギターと合わせてギター(ブランド名:Kansas)の販売も行いました。

一方、、ウクレレについては、プロのライブやコンサートに通い、顧客を紹介してもらったり、全国の販売店にウクレレのPRに出かける等、地道で辛抱強い営業活動が続きました。

「Famous」を支えてくれる人たちと連携

またプロにFamousウクレレに関するアドバイスを受けてウクレレを改良していきました。
ハワイの実力派ウクレレプレーヤ・オータサンも協力してくださり、改良の結果、オータサンからも太鼓判をいただき、推薦状を書いてもらうに至りました。(写真:左)

合わせて、岡本は全てのFamousウクレレを自ら検品するなど、Famous自体の品質レベルも向上させていきました。
ウクレレ講師の第一人者であり、多くの門下生を輩した渡辺直則氏(日本ウクレレスクール主宰)とも励ましあい、ハード面で岡本良二、ソフト面で渡辺直則氏という
両輪で日本のウクレレ文化を守っていったのでした。(写真:右)

ウクレレリバイバル・そして第3の創業へ

地道な活動はやがて実を結び始め、平成5年(1993)、岡本良二は名門「LUNA」のブランドを復活させます。
また、Famousの上位ブランドとして手工品ウクレレの「Nakanishi」が加わり、ラインナップも充実。
CFでウクレレの音色が聞かれるようになった頃からウクレレ人気が再燃し始め、サザンオールスターズのベーシスト・関口和之氏やシンガーソングライター山口岩男氏(現・IWAO)らがウクレレに注目、ザ・ドリフターズの高木ブー氏がウクレレプレーヤとして再評価された平成11年前後からウクレレブームが再来します。

キワヤ商会のウクレレは一躍、脚光を浴びることとなり、「Famous」は名実共に国産ウクレレの雄として広く一般の人々に知られるところとなります。ブームは世界的ウクレレ演奏者であるハーブ・オオタ氏(オータサン)の存在や次世代のウクレレアーティスト、ジェイク・シマブクロやハーブ,オオタ.ジュニアの台頭により支えられ、現在、ハワイアンに限らず、様々な音楽ジャンルで表現できる自由度の高い楽器として認められつつあります。

平成14年(2002)、時代は21世紀を迎え、岡本良二は社長職を原京子に譲り、会長職に就きました。
原は社長就任に伴い、21世紀を“キワヤ商会第3の創業”と位置づけ、「キワヤ商会」から「KIWAYA」へと呼称を改めます。それは、国産ウクレレの更なる発展と飛躍、ウクレレ文化の継承と保存をグローバルに展開していく意志の表れでもあります。

KIWAYAは、ウクレレや関連商品の開発・新発売に加えて、WEBサイトの開設や「Famousウクレレコンテスト」(現・ジ・ウクレレコンテスト)の開催、新たなウクレレビルダーとの協業、ウクレレスクールの充実、オーダーメイドウクレレの受注、ウクレレミュージアム「樂」のオープン等、新たな展開を打ち出し、「ウクレレのリーディングカンパニー」としての道を歩み始めています。

                                                                

2006年、米国本土に「KIWAYA-USA」を設立。
翌2007年には世界最大の楽器見本市「NAMMショウ」(米国・アナハイム)に出展し、世界に向けて「KIWAYA」を発信させるに至りました。

岡本良二が守り続けたキワヤ商会の国産ウクレレはKIWAYAとして21世紀に引き継がれました。原社長の願いは、もはや会社を「有名にする」ことではありません。

「ウクレレという楽器を通じて、音楽と共にある心豊かな生活づくりをお手伝いする」
”Offering Hapiness through The Ukulele”

それがKIWAYAの社命であり、願いなのです。
                                                                

写真左:キワヤ商会1F 写真右:NAMMショウ2007にてグラミー賞アーティスト:ダニエル・ホー氏(左から2番目)と

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